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未読書日記2 『不完全性定理―数学的体系のあゆみ』

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未読書日記の第2弾。ゲーデルの不完全性定理については以前にも書きましたが、しょせん門外漢の野次馬。「自己言及ができる程度に複雑な数学的システムでは、そのシステムが無矛盾かつ完全であることは証明できない(≒数学では、正しいけれど証明できない命題がある)」という定理の大枠は漠然とつかめても、定理の証明過程を厳密に理解することは不可能です。それでも、少しでもコアに近づきたいという思いから、読み始めました。

著者の野昭弘教授は、以前に紹介した『ゲーデル、エッシャー、バッハ――あるいは不思議の環』の訳者でもあります(これもいまだ読了せず…)。専門はコンピュータ科学の基礎理論とのこと。コンピュータには「正しい」「間違っている」などという内容や意味に関わる概念は理解できず、あくまでも形式的な論理しか扱えません。ヒルベルトやゲーデル、フォン・ノイマンらが取り組んだ「超数学」は、数学を基礎付ける形式的な論理構造を扱う学問らしい。だからこそ、今日のようなコンピュータ発展の基盤作りに欠かせなかったのでしょう。

20世紀初頭に登場した不完全性定理の衝撃について書いた本ではありますが、この定理が登場するに至る数学史をピタゴラスの時代から説き起こすというちょっと壮大な内容。だからゲーデルが登場するのも、最後の第6章になってからのようです。目下、第5章「超数学の誕生」を読み進めているところ。

やはり高度な内容でそれなりに難解ですが、同種の解説書に比べると格段に分かりやすい。たとえば、ユークリッド幾何学と非ユークリッド幾何学について。
われわれの住む世界で自明とされているのはユークリッド幾何学のほうですが、その公理の一つに「ある直線が他の2直線に交わり、そのひとつの側の内角の和が2直角より小さいとき、それらの2直線をその側に延長するといつかは交わる」というのがあります。ここから「直線Lと、その上にない点Pとが与えられたとき、Pを通り直線Lに平行な直線(平行線)がただひとつ存在する」という定理が導かれるわけですが、そんなの当たり前、というか普通はそれ以外の状況は考えられません。だけど、あるとき「ユークリッド幾何学以外の公理系なら、そうじゃない場合もありうる」と考える数学者たちが出てきます。このあたりのことはいろんな本で解説されていますが、今まで直感的にピンとくる説明に会ったことがありませんでした。

たとえば非ユークリッド幾何学の一つとしてリーマンが提唱したリーマン幾何学では、「地球のような球体の表面なら、点P(仮に北極点とする)を通る直線L(経線のうちの1本)に平行な直線(他の経線)は存在しない」と考えます。これまでに読んだ解説書では省略が多すぎて、「地球を一周する経線は円に決まってるじゃないか。なんで『直線』と言えるんだ」なんて疑問に悩まされてました。だけど、そうではないんですね。これはあくまでも、われわれの住む3次元世界ではなく、球体表面の2次元平面の世界を「モデル」にした公理系だという説明に納得。
…そういう「球面世界」では、生物がある点Pから別の点Qへと移動するときの最短コースは、球面上のある円弧になる。正確に言うと「点P、Qと地球の中心Oを含む平面で、球面を切ったときの、PからQへの大円の一部分」である。この切り口を大円と言うので、「PからQへの大円の一部分」と言ってもよい。それならこの最短コースを「直線」と呼ぶのは、球面上の生物にとっては自然なことであろう。そこでこの意味での直線――大円の一部分を、仮に〈直線〉と書くことにしよう。
(略)
「〈直線〉Lと、その上にない点Pとが与えられたとき、Pを通りLに平行な〈直線〉は存在しない」
なお、平行とは「いくら延長しても交わらない」ということであった。この世界での〈直線〉は、十分延長すれば大円になる。2つの大円は必ず2点で交わるから、たしかに平行線は存在しない。
ちなみに非ユークリッド幾何学には、この逆バージョンとして「直線Lと、その上にない点Pとが与えられたとき、Pを通りLに平行な直線はいくらでも存在する」というものもあります。

読み進めていくと、こうした「論理の形式を決める公理系と、その具体的内容を示すモデル」という考え方が「超数学」の登場に不可欠だったことが分かって興味深い。日常、言葉や記号の意味にがんじがらめにされていると、なかなか理解しにくい考え方ですが。
たとえば…
1. x□(y□z)=(x□y)□z
2. x□y=y□x
3. ある特定の対象eについて、x□e=x
これらのうちxとyは何かの言葉を代入する変数と考えて、それらをつなぐ「□」にはどんな操作が入れば辻褄が合うかを考えます。当然「+」はその一つ(その場合、e=0)ですが、他にも「2つの言葉xとyのうち、ある辞書で先に書いてあるほうの言葉」と考えてもいいし(その場合、e=最初の見出し語)、「2つの自然数xとyのうち、大きいほう」と考えてもいい(その場合、e=1)。要するに、ここではこの3つの公理からなる公理系を満たす世界がそれぞれ「モデル」で、満たしさえすれば何でも構わないということ。学校で習う数学はある特定のモデルに基づいたものにすぎないわけですが、われわれにとってはそのモデルで考えることが当たり前になっていますね。
ヒルベルトらが取り組んだ「数学の形式化」とは、+とか―とかに象徴される特定のモデルの意味を徹底的にそぎ落として、数学が拠って立つ大枠である論理形式を、すべて一点の曇りもなく明らかにしようという壮大な試みだったようです。結局その試みは、不可能であることがゲーデルによって証明されてしまうのですが(本当はこの言い方は乱暴らしいけど、細かい理屈はよく分からない)。

高度な内容について書きながら、ユーモラスな語り口に惹きつけられるうちにすっと頭に入ってくる好著。例によって未読ながら、お薦めします。とはいえ、後半に入ると難解になってくるので覚悟を。

最後に、面白かった小咄を。「この文章で書いていることはウソである」みたいな、自己言及型パラドクスについて触れたくだりで紹介されたエピソードです。
ここでいう「自己言及」とは「ある言葉がその言葉自身に言及する」ことであって、人間が自分について語ることは含まない。(略)「自己言及を含むパラドックスの例を挙げよ」という私の試験問題に対するある女子学生の解答:
「美人は損をする」
きっときれいな子なのでしょうが、私の講義を聴いていなかった……

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コメント

コメント(3)
No title
待ちます、ごゆっくりどうぞ。

baz*tou*uu*970

2006/08/01 13:40 URL 編集返信
No title
引っ張るなあ~(笑)。期待してますよー(^^)v

TOCKA

2006/08/02 00:19 URL 編集返信
No title
こんなん出ましたけど。記事をアップする前から期待されるとプレッシャーかかるな。

Jinne Lou

2006/08/02 01:13 URL 編集返信
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