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未読書日記14 『無限の話』 ジョン・D・バロウ著

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「数」とは不思議な存在です。人間が「数える」という行為を行わなければそれは存在しないように思えるけど、誰も数えなくても光の速さや重力定数のような「量」はこの宇宙では一定だし、たとえば「素数」なんて数は誰が決めたわけでなくとも何故か初めから(宇宙が始まる前から?)決まっていて、しかも自然数の数列の中に何の法則性もなく並んでいる。並び方には何の法則性もないにもかかわらず、どの数が素数であるかは論理的に明確に決まる。そして人類にはいまだ未知の素数が、それこそ無限にあります。その意味で、数はわれわれにとってアプリオリな存在だと言える。しかし「これが数だ」と指し示せるような外延はこの世界にはなく、それはあくまでも我々の抽象的思考の中にのみ存在するにすぎない。思考の中にのみ存在するにもかかわらず、「数」は人知ではどうにも扱いづらい「無限」の量が存在しているらしい。

例によって読みかけの本書では、世界と論理と数との関係を考えるうえで避けて通れない――と自分には思われる「無限」の受容史をたどります。
もともと「無限に数えることが可能である」ということと「『無限に数えられる数』という集合の全体が存在している」ことは別々の事柄と考えられていて、前者の「可能無限」だけを認めて後者の「実無限」は認めない考え方が主流だったようです。大数学者のガウスですら「無限の量を、現実的な存在物として用いることには反対する。これは数学には受け入れられない」と主張していたらしい。

ところで宇宙物理学を専門とする著者のバロウ氏は、なぜか戯曲も書いています。多才な人です。
2002年から翌年にかけて実際にミラノで上演されたという芝居は、その名もズバリ『無限大』。部屋数が無限に存在するホテルを舞台に繰り広げられる、深淵かつ荒唐無稽な物語のようです。
この無限ホテルは、無限の不思議について考えるときによく引き合いに出される話。一般には次のようなもの。
あるところに無限の部屋数を誇るホテルが存在し、その日は満室状態だった。そこへ1人の客が訪ねてきた。この客を宿泊させるにはどうすればいい?
 --簡単だ。1号室の客には2号室に移動してもらい、2号室の客は3号室へ…と無限に隣の部屋へずらせば、空いた1号室に泊められる。

翌日、今度は無限人の客がやってきた。どうすれば泊められるだろうか?
これも簡単。1号室の客は2号室へ、2号室の客は4号室へ、3号室の客は6号室へ…と、すべての客を2倍の番号の部屋へと移す。1部屋おきに空室ができてそれが無限に続くので、無限人の客をすべて泊めることができる。
無限人の客に移動をお願いするには無限の時間がかかるんじゃないのか…という疑問はさておき。
戯曲ではこれをさらに発展させて、この「ホテル無限大」が宇宙全体に無限軒のホテルを展開するチェーンだと仮定。そして、それぞれに無限人の客が宿泊しているとする。あるとき経営上の理由から地球以外の(無限に存在する)ホテルをすべて閉鎖して、それら一軒一軒に宿泊していた無限人の客を、すべて地球のホテル無限大に宿泊させることになった。つまり宿泊客は全部で無限人×無限軒いるわけですが、こんな大人数でもやはり全員宿泊させて、しかも空室をゼロにすることができる。その方法は…と話は展開していって、最後にはとんでもないオチが用意されています。


さて、「可能無限」対「実無限」論争に終止符を打ったのが「対角線論法」で有名な数学者のゲオルク・カントール。無限を扱う本では必ず登場するほど、「無限史上」で画期的な役割を果たした人物。

これを考えるために、ここでは無限を「可算無限」と「非可算無限」に分けます。前者は、1、2、3、4…と順番に数えられる自然数全体の量。後者は、たとえば1と2の間には1.1や1.2が存在し、それらの間にも1.11や1.12が存在して…となるため順番に数え上げることが不可能な実数全体の量。どちらも「無限」という同じ量だけ存在するように思えるけど、実はそうではなく、非可算無限のほうが「無限に」大きいことを対角線論法で示しました。

簡単に書くとこんな感じ。

自然数  実数
(可算) (非可算)
 1  1.15495734…(←数の並び方に意味はなく、とにかく無限桁の実数)
 2  1.78934759…
 3  1.30000000…
 4  1.07634916…
 5  1.99999999…
 .    .
 .    .
 .    .
 .    .
(以下、自然数と実数を無限に列挙していく)

順番に数えられる(各々の数の間に中間の数は存在しない)自然数と、数えられない(いくらでも中間の数が存在する)実数が1対1対応で並べられていて、これを見ると両者同じ量だけ存在しているように見える。しかし太字で示した対角線上の数列に注目。これを一つずつ別の数に変えていくと、この無限に並べられた実数の集まりのどこにも存在しない新しい数が出来上がる。だってその数の1桁目は1番上の実数と違うし、2桁目は2番目と違うし…と、ここにあるどの実数とも少なくとも1つの桁が違う数になっているので、どれとも完全には合致しない。じゃあその数をこの実数の集合に加えれば実数をすべて列挙したことになるかといえば、同様の操作をすればまた新しい実数が作れてしまう。つまり自然数をどこまで数えても、それを上回る量の実数が必ず存在することに。http://x5.nobody.jp/bin/ll?062899800.gif
こうして、可算無限個ある自然数の集合と、非可算無限個ある実数の集合とは「大きさ(正確には“濃度”または“階層”)」が違うことが証明されます。全体の大きさが比較できるってことは、いずれの無限もその全体が現に存在するものとして(少なくとも論理的には)扱えることになり、実無限の立場が肯定される…というのが今のところの私の理解ですが、このへんは自信がない。もっとよく読んでみます。
(ちなみにこれら無限の2種類の大きさをそれぞれ「アレフ0」「アレフ1」と呼びますが、この両者の間に「中間の大きさが存在する」と仮定するカントールの「連続体仮説」は、現在の数学体系では証明も反証も不可能であることがゲーデルらによって証明されているらしい。ただし命題の真偽が不明なので、「真なのに証明できない」というゲーデル命題とは違う)

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コメント

コメント(8)
No title
なるほど。大きさが比較できることからその存在が肯定される。

アレフ0とアレフ1の間に中間の大きさがあるというカントールさんの仮説があるとのことですが、↑を読んでフツーに考えるとそのような大きさは無いように思うのですが、一体どんな仮説なんだろう?
いつか読んだら教えて下さい。

lotusrayeighty

2008/09/10 15:43 URL 編集返信
No title
私もこの仮説の詳しい論理は分かりませんが、おそらく数学者としての直感に近いものがあったんじゃないでしょうか。
ただ、今ではLotusさんと同じように「ない」と考える学者が大勢らしい。いずれにしても、現在の数学では答えが出せないことだけは明確に証明されているようです。

Jinne Lou

2008/09/10 17:24 URL 編集返信
No title
>現在の数学では答えが出せないことだけは明確に証明されている

これもすごいですよねぇ。

lotusrayeighty

2008/09/10 23:14 URL 編集返信
No title
観念論哲学者も、数学こそが真実だというわけです。伝統的には、空間と時間がアプリオリな存在と考えられるわけですが、いずれも人間が文節化して始めて「人間にとって」意味を持ちうるわけですね。外延を持たないものは、悟性の範疇では把握できない。しかし、その文節の仕方が、文化によって若干異なったりします。それにしても、空間は無限なんでしょうか。

och**obor*maru

2008/09/12 00:36 URL 編集返信
No title
>Lotusさん

不思議ですよね。数学では証明できないことを、当の数学によって証明したんですから。ゲーデル以後、こういう自己言及的な問いの重要性が高まってきたようです。

Jinne Lou

2008/09/14 16:04 URL 編集返信
No title
>NANAMIさん

カントは時間も空間も認識のためのアプリオリな形式だと考えていたようだし、ニュートン力学も絶対空間・絶対時間を前提としていたわけですが、いわば外延を持たないと考えられていたそれらが、相対論以後は外延を持つ存在として語られるようになったとも言えるんじゃないでしょうか。
空間が無限かどうかについては、どう考えればいいんでしょうね。宇宙が誕生する以前は空間は存在せず、ビッグバン以後爆発的に膨張し始めたのなら、少なくとも「この宇宙」に関しては空間は有限でしょう。
ただカントの考えたように、時空は人間の認識にとって不可欠の前提なので、それらが存在する以前の状態というのはなかなか考えづらいですが。

Jinne Lou

2008/09/14 16:28 URL 編集返信
No title
私の理解は観念論から精々構造主義あたりまでで、理論物理学とか分析哲学とか、そっちのほうはあなまり明るくないんですけど、空間・時間が外延を持つものと認識できれば、瞬間移動とかタイムトラベルとか、理論上は成り立つのかもしれません。いずれも、空間や時間を物質とし捉えられなければ無理ですからね。SF的には、空間や時間的「位相」のズレとかなんとかで、そういう現象が起ることになってるんでしょうけど。宇宙が存在する以前とか、このあたりは、惑星形成理論とか宇宙物理学とかの出番でしょうか。

och**obor*maru

2008/09/15 21:40 URL 編集返信
No title
人間は将来、時空をどこまで物質と同等の存在物として扱えるようになるんでしょうね。今でも相対論による時間の遅れの効果がカーナビに応用されてたりしますが、タイムマシンの開発まではまだまだ遠い道のりです。

Jinne Lou

2008/09/16 03:03 URL 編集返信
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